青春小説の金字塔ともいえる宮本 輝著『青が散る』。
ハツラツとした若者のエネルギーと、二度と戻らない時間への喪失感が巧みに表現された名作です。
僕はこの本が好きで、だいたい五回は読み返しています。
自分の立場や状況で受け取る印象が変わるため、いつも新鮮な気持ちで読めて色褪せない小説です。
学生が読めば共感できる部分は多くあるし、社会人が読めば青いくさい頃の自分を思い出して恥ずかしい気持ちになるはず。
どの世代が読んでも楽しめる名作です。
あらすじ
大学の入学手続きに行った日。
椎名 燎平は、真っ赤なエナメルのレインコートを着た佐野 夏子に一目惚れする。
物語はそこから始まる。
何の目標も持たず新設の大学に入学した燎平は、同期生の金子に誘われるがままテニス部に入部する。
その後、心に病を抱えた天才テニスプレイヤー安斎や、王道よりも覇道のテニスを好む貝谷、実力のある後輩たちも入部し、燎平は仲間とともに練習に明け暮れる日々を過ごすようになる。
一方、自由奔放、お嬢様育ちの夏子への片想いは、一筋縄ではいかない。
金も自信も男らしさも、何も持ちえない燎平は、夏子の前では卑屈になったりムキになったりして一歩を踏み込めないでいる。
将来への不安、近しい人間との死別、恋の葛藤。
未完の若者たちは、傷つきながらも”青春”という一つの時代を謳歌する。
メッチャ等身大の青春
この物語は生々しいぐらい大学生の心理描写がリアル。
そして主人公の燎平は”メッチャ等身大の男子大学生”。
何の目的なく大学に入学した燎平は勉強もしないで、テニスに熱中し生活のほとんどが部活の練習ばかり。
喫茶店で部活仲間とダベったり、パチンコにいったり、仲間が失恋すれば飲んで食って発散したりと大学生の特権ともいえる自由を謳歌します。
しかし大学生活を満喫する一方、燎平は様々な場面で、自分の過ごしている日々を無意味に感じるときがあります。
不意に襲ってくる虚無感。ワケもなく訪れる不安感。暗い未来の予感。
こういう経験って、大学生のときなら誰にだってありますよね。
大学時代の僕も、友達と飲んで騒いで楽しいはずなのに、どこか虚しさを感じたことを覚えています。
楽しいはずなのに、満たされない気持ち。
本書では、大事件は起きないけれど、そんな青春時代に感じる正と負の心情がビビットに表現されています。
描かれている物語がリアルな青春なので、誰でも身近に感じられるはずです。
落ちる青春の影
大学生の頃に読んだときは、燎平の悩みとドンピシャに重なり、共感できるところが多くあったことを覚えています。
燎平はテニス漬けの生活を送るなか、至るところで暗い気持ちを吐いています。
「行きたかった大学に合格していれば」、「もっと金持ちの息子だったら」、「もっと男らしい肉体と風貌だったら」。
人生にはありますよね、”タラレバ”の生産が激しい時期。
まさしく僕の大学時代はそんな時期でした。
自分に無いモノについて想い馳せては、悩んで、葛藤して、落ち込みました。周りと比べては劣っているように感じて他人に嫉妬していたこともあります。
「街がひっくり返りでもしないか」と毎日のように思っていました。
そんな当時、本書を読んだときには燎平の悩みに共感し、この苦しみは自分だけでないのだとわかって救われたことを覚えています。
本書は1982年に刊行された本です。
今も昔も、若者の誰もが共通して通る道だと思うと、不思議と安心しました。
愛をこめてバカヤローと叫びたい恋たち
愛をこめてバカヤローと叫びたくなるような、不器用な恋が描かれているところも本書の見どころです。
テニス部の仲間である貝谷の積年の片想い。
シンガーソングライターを目指すガリバーと呼ばれる少年の破滅的な、道はずれた恋。
心に病を持つ天才テニスプレイヤー安斎の静かで悲しい恋。
登場人物の誰もが恋をしています。
燎平も恋をしていて、相手は誰もが振り向く美人・佐野 夏子です。
燎平は本気で惚れているからこそ、一歩踏み込めず、ウジウジするんですよね。はたから見ると、そのじれったさはもどかしくて。でもそこが親しみやすくて好きなポイントでもあるんですけど。
ネタバレになるので控えますが、燎平の恋の行方はというと、意外な結末で驚かされました。
本文中には「どいつもこいつも泣きたいくらい、女に惚れてしまうんやなァ」というセリフがあります。
まさしくそんな言葉が似合うような、不器用な大学生たちの恋が本書では描かれています。
最後に
本書の終盤、燎平は大学生活の4年間を”恥ずかしい時代だった”と表現しています。
昔は特に気にしなかったけど、今ではその言葉に共感してしまいます。
青春時代を振り返れば、目を細めて眺めたくなる楽しい出来事がたくさんあります。
でもよくよく思い出せば、当時はくだらないことでクヨクヨして、そのせいで恥ずかしいこともたくさんした気がします。
青春という言葉は甘酸っぱく、瑞々しい響きを持っています。でも現実はもっと荒々しくて、みっともなくもがいていたんですよね。
それが”青が散る”では生き生きと表現されています。現役学生も社会人の方もぜひ読んでみてください。